うれしの茶

嬉野は全国屈指の茶どころ。
なだらかな山間に位置し、霧深く昼夜の温度差もありお茶栽培に最適な地域です。

うれしの茶の歴史は、1440年(室町時代)に中国大陸から移住してきた唐人が自家用に栽培を始めたことに遡ります。その後、明から渡来した陶工が南京釜を持ち込み、釜炒り茶の製法を伝授したと言われています。鉄鍋を45度の角度で傾け、350度以上の温度で茶葉や茎を焙煎しながらかき混ぜることで、丸みのある形に仕上げています。

うれしの茶の父と呼ばれる吉村新兵衛(1603~1657)は、周辺の丘陵地を開墾して茶畑を作り栽培を始め、嬉野をお茶の一大産地に育て上げました。

吉村氏が蒔いたと伝えられる茶樹

江戸時代には、日本は外界との交易をほぼ完全に遮断していましたが、翌明治時代になると海外との貿易が再開されます。

うれしの茶をいち早く海外に輸出した長崎の女商人、大浦慶(1828~1884)の先見の明により、日本茶の輸出が盛んになりました。彼女の先駆的な努力のおかげで、うれしの茶は今では世界中の人々に親しまれています。

参考│うれしの茶の教科書 – お茶の歴史(国土交通省)